珈琲工房ポエムの日記

自家焙煎の珈琲豆 とメディカルハーブコーディネーター在中のオリジナルブレンドハーブティーと紅茶

私の子育て論…その1

子育てについて不安を抱えているパパさんママさん

お店でもそーゆー話題は尽きない

皆、頭を悩ませるのは

その子の将来について

何をどう学ばせるのか?

お習い事はどうしたら良い?

才能生かす(開花させる)ためにはどうすれば?

どれも正解そうに見えてどれも間違っていそうに見える…

隣の家がピアノを買ったからウチも買わなきゃと言う理屈は昭和の理屈である(と私の個人的意見)

 

うちの長男くんはこの前成人式を迎えたばかり

我が家には家訓というか、

霧万次郎流処世術という

鉄の掟みたいなものがあってな

その内容は至ってシンプル

他人は他人自分は自分

極端な話

クラスで1対39に意見が分裂したとしても

自分が1を選んだ理由を曲げてはいけない

大事なのは勝った負けたではなく

1対39の不利な戦いに臆する事なく戦いを挑んでくると言うインパクトを相手に与える事が大事

自分の存在を相手の記憶の中に植え付けることによって、それ以降はコトが有利に運ぶ事になる

ざっくり書くとこうなるが

こんな感じの兵法?のいくつかをウチでは保育園の頃から教えている

そもそも何でこんなことを子供に教え込むのかというと、自分の生まれ育った環境がそうさせているのかもしれない。

自分は物心ついた頃から呉服屋で育って、いつも誰か他人が自分の側にいた。問屋であったりお客さんであったり、自分の話術は誰かに習ったものではなく自然とそこで身に付いてしまったものなのである。

そんな自分だから

相手がどんな巧みなセールストークを使ってきてもきっとそのオチはxxxxなんでしょと、最後まで意見を言わせず遮ることなんて普通にできたし

(きっと、めんどくさい中学生だったと思う)

学生の時アルバイトで

とある教材を売り歩いていた時

3件取れれば良くできました的なところを

20件以上取ってきて、社内で「デビル○村」と呼ばれていたこともある

ワチが訪問に行くと巧みなトークで魂を抜き取り契約書にサインしてしまう(笑)という意味らしい

 

てなわけで

自分はなんとなくなんとなくでここまで来たので

子供たちにこのなんとなくをいかに伝えようかと言うことが重要な課題だったのである

 

授業中に他の生徒が思いつかないような内容の発言を積極的にできるように、4次元的なものの捉え方を一緒に勉強したり、現実今の教育制度で評価を下されることに対しては褒めることはあっても叱ったことは、ほぼ無い(これは普通の家庭では多分叱られるようなことがあったとしても…と言うことなのだが)

とまぁ一風変った教育方針だから

周りの人からは結構酷いことも言われたりした

今でも覚えているが

習っていた空手の先生の奥さんに

「〇〇君が、ああいう感じで将来心配になりません?」

と真顔で言われたので

「いえ、全然心配してませんよ」

と返答してやった

まぁ、そう思われても仕方ないけど

そもそも自分が

他人は他人、自分は自分

と思っているので、そのお節介に対して

なーんとも感じないわけだ

 

ナンバーワンじゃなくてオンリーワンを目指す

コトがちょうど良い♡

としてきたが

実はあの唄は自分がそう唱えてきた数年後の曲だ

 

そして

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今や、心配されていた〇〇くんは

こういう立ち位置にいる

 

…というどうでも良い話